2014年8月23日土曜日

2014旅紀行 3

玄侑 宗久、釈 徹宗の対談本「自然を生きる」に載っていた、白隠、病床の三原則の三つ目、
「息を引き取ったら、朝露の一滴になってでもいいから、なにかを潤すことをイメージする。」
それは、芸術の本質なのではないだろうか。

例えば自分は、滝沢亘という歌人にとてつもないシンパシーを感じていて、
ある日、偶然手に取った日本歌人全集の一冊に載っていた彼の歌に出逢ったことは、
とてつもない衝撃で、それは運命とも言える体験だった。
「昔にも、こんな事を考えていたひとが、いたんだな」では無く、
「あっ、同じことを考えていたひとがいた」という、時というクレーター級の距離を越えた直接的なシンパシー。

結核に侵され、湘南サナトリウムに入所し、性への憧れ、生活者への嫉妬羨望を抱きながらも、
ある意味ではその境遇を利用し陶酔しながら、死への虚無を確かに抱え、素晴らしく時に拙い歌を書き続けた彼の言葉に、
他人とは思えない、まるで隣に亘がいるような息遣いを感じたのだ。

「よりいい音を聴いてみたい、よりいい作品を見てみたい」
自分にとっての音楽、芸術の根本はそこにある。
社会的通念やビジネスを除外すれば、他人を引きずり降ろしたり、貶めたりということはなるだけしたくない。
しかし、それがうまく出来ずに、嫉妬や焦燥に伴う劣等感に苛まれ、時を奪われ続けているのは、とても不幸な事。
だが、そのせめぎ合いの中から産まれた歌に、こうして今多大なる影響を与えられているのは皮肉だが事実である。
良きにせよ悪いにせよ、そんな苦悩の中に咲いた70年前の彼の歌が、俺にとっての朝露の一滴になっている事は確かなのだ。

「よりいい」は、一筋縄ではいかない。だから面白いし、本当の言葉として、それは百年以上残っていく。
そんな作品を作っていかなければならない。

生きる意味とは、命ある内に高められたその芸を百年規模の共有物へ高める努力をすることだ。
具体的にフグリ存命の内にメンズに好評を博さないと、残ることは適わない。
客体としての人体で、主体としての作品を向上させること。
名前を変えたり、バンドに名前をつけたり。それは己を越え、そして拡散していく事を意味する。
少なくとも、俺の場合は。フグリさんと呼びたくなってくる。フグリさんの為に、いっぱい歩いて、いっぱい頑張るよって。

18日、寝坊の朝。あらまー。と思ったが、もう惑わない。
優雅にシャーワを浴び浴び。香料などを振り、フェミニンに東京を後にする。
電車の窓から見た大きな空は、いつかのそれと確かに繋がっている。
積乱雲が俺に「もう、働かなくていいんだよ」と言っている気がしてぼんやりまどろんでみたり。
それは確かに瞬間で、たった一つの波紋だけが水面を走っていくようだった。
後に続く波も、先を進む波もないかの様な、唯一無二な時間を少しだけ遊ぶ。

夕刻、鶴舞KDハポンへ到着。ドキティッコ。憧れの場所へ来たのは久しぶりだ。
例によって遅刻ゆえに早々に仮演を済まし、街へ繰り出す。
バイパス沿いの街なので、特になにもなく、薄汚れた公園の人工池の水面を眺めた後、イトーヨーカドーにて飲酒。
一度も目を合わせてはくれないレジガールの口元のふにゃふにゃがたまらなく愛しく。抱きしめたくなる。
ほろ酔いだと、すぐに人を好きになってしまう。
この前、映画館にいった時にもそんな調子でにやけていたら、
「いらっしゃいませ!」と突然の歓待を受けたので、思わず好きになる。が、五分で忘れる。
近隣のベンチでチキンカツをアテにハイボール。見上げる空は暗くなって、積乱雲は風と遠くに。

名演と心得るライブを済ますが、あまりCDは売れない。相違があるのだろうか。それとも力不足か。
今日はダメだったな、、という夜と、イケてるやん!!ほっ!!イケてたやろ!!?の夜と。どれだけの差があるのだろうか。
同じ人間がやっているのだから、1か100にはならない気もするが、いつも悔しさは消えない。

照明がとても高い場所にあり、美しかった。
バレリーナになった様な気持ち。
ツーアではあまり歌っていないが、「魂の削りかた」という歌があって、それを演奏する時はいつも、
山岸凉子の「テレプシコーラ」に出てくる千花ちゃんをイメージしている。駆け抜け、舞い散った彼女の事。
純粋な音になりたい。と願った事は幾度となくあるが、俺は不純だ。だったら突き詰めてやるしかない。ドブの夕日だ。

終えて、加藤、ドンちゃんと王将。
魔がさしてチャンポン麺なる色物を注文してしまうが、意外に美味いと言い張る夜。
車に乗り遅れ、置いてかれかける等のアクシデント。
猫屋敷にて就寝。

19日、キャットハウスにて目醒。
ひとしきり猫と戯れ。膝に乗ってくる達成感たるや。
マザーオブ加藤さんに送ってもらい、名古屋駅へ。
参詣、ルッキング蛍などの約束を済まし、生家へ帰宅。
マザーオブフグさんに図書館へ連れていってもらい、終日読書、ユニクロ。

21日、神戸スタークラブ。
電車のうるささに驚いた。まさかここまでとは。
何度も出ている筈なのに。
「よく聴こえる様になったわね」と喜ぶべきなのか。
スタークラブ上を通過する彼らには、何かが届いているのだろうか。
ほんの少し卒業写真の様な気持ちになってくれているのなら、それは嬉しいけれどもさ。
「通った道さえ今はもう、電車から見るだけ」
風も流れも掴めずに、繋がらない音を演っちまー。

終えて、皆で駅。
馬車馬イオクラくんより盆踊りの魅力をご教授。
帰宅後なにとなしにテレビを見ておったら、いま若者の間で盆踊りが空前のリバイバル!!らしく、
アンテナ鋭いなと感心。リバイバル?江戸以来?
大阪の横の感じはとても好きだ。それは馴れ合いではなく、一緒にやってこう。おもろくなってこう。
という空気である。儒教的年功序列は不気味で好きになれない。
年上のあなたと出逢うことも、年下のあなたと出逢うことも、全部偶然じゃないか。
こちとら100年規模で見てるんで!そこんとこヨロシク!!

そんで、明日。加藤との旅はひとまずファイナル。
終わんのか?終わらない。この腐れ縁は恐らくフォーエバー。

8月23日(土)加東市ギャラリーコノハ
兵庫県加東市藤田944−611

¥1000(+1D)
開演 17:00

FAAFAAZ(三田)
ぐうたら狂(神戸)
SHARAKU(西脇)
片岡フグリ(東京)
藤原有朔(滋賀)
マエダカズシ(篠山/from逢マイミーマインズ)
加藤亮二(大阪)

0 件のコメント:

コメントを投稿