2016年4月27日水曜日

この前インタビューを受けたんですが、
媒体が紙且つ少部数みたいなので、
いつも胸ときめかせて待ってくれている君の元まで無事お届け出来るかフグリ心配。。
という訳で軽く抜粋します。
拙いけれど、最近はこんな事を考えているよ。

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片岡「今、バンドとか、他にも沢山の音楽形態がある中で、
いろんな表現フォーマットがありますけど…(それを)もっと拡大したものというか。
例えばよくあるバンド形態っていうのは、
額縁にはめた「趣向を凝らしたこの中のものを」っていう絵画に近い見せ方なんですよね。
一方ノイズっていうのは、額にはめる事もしないくらい、まぁ音源で出すときは、それでも額にはめちゃうんですけど、、

例えば渋谷の路上で(街の風景に)額をはめて「この中が作品」って言えば、
それは(よくも悪くも)ノイズ(ミュージック)になると思うんですよね。
壁に貼られた絵画を見るっていう音楽鑑賞のやり方っていう対立構造だけじゃなくて、
(額の内部、表裏を規定しない事で)その反対側も見る事が出来る訳じゃないですか。
ノイズには、そういう広がりがあるなって。
(中略)

-大都市の雑踏はノイズなのでしょうか?

片岡「それは、雑音。デシベルの高い音、
耳に痛いだけの音っていうのが本当の意味でのノイズ(雑音、騒音)で、
雑踏は雑踏でしかないと思うんですよね。

ノイズミュージックっていうのはその雑踏をマイキングすることによって音に演技をさせる事。
フィルター(額)を通すってことで。

前まではそんな風に人が聞きたい音を録るのは、それはそれで面白いって思ってたんですけど、最近はちょっとやだなって。
街の音を録音して他で流しても生の音じゃないし、それを流すためにマイクを選ぶ過程もあるし、既成のスピーカーを選ぶ過程もあるし。
っていうのが嘘っぽいっていうか、人間本位すぎるっていうか、例えば海の音を録る時に、そういうこと(人間主体の採音方法)で自分の気持ちよさを追求するっていうのは、もうどうなんだろう?って。

沼津に行って終電を逃した事があって、やる事がないんで海に行ったんですが、ものすごく感動したんです。
(そこでは)サラウンドで素晴らしい音が鳴ってるわけですよ。自分がいなくても、誰も聴いてないのにずっと鳴っているんです。終電を逃したからこそ聴けたわけです。

偶然で物凄い贅沢な経験…あれがノイズであり、ライブだな。という風に最近は思っています。

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