2018年11月22日木曜日

ELEPHANT NOIZ KASHIMASHIは、完全スタジオ録音のダウンロードコード付き新作音源「ENZKMS(PTK-006)」をqujakuとの東名阪ツアーに合わせた2018年10月13日に、拙レーベルPHETISH/TOKYOよりリリースした。
今回我々がその媒体に選択したのは、「石」である

ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI 「ENZKMS」(PTK-006)


同レーベルの旗揚げとして2017年初頭にCD媒体で発表した前作(録音は2016年末)「DISCOVERY(PTK-001)は、多摩美術大学での結成と小林くんとの二人時代から、メンバーの加入脱退を経て現体制へと至るおよそ5年間の過程を、我々の演奏形態、そしてその向上を録音技術の進化となぞらえ、また一つの区切りとしてパッケージングし収録した全5曲のベスト盤的内容となっていた。

※「DISCOVERY」に関してはここに詳しい。

前回の製作から現在に至るまで、「ノイズ」の「録音」に関してやや懐疑的であることに変わりはないが(絶対にライブの方がカッコイイという自負もあり)、過去に行っていた、空間そして現場そのものを即時的に感知しながらの演奏というスタイルから、リズムを取り入れ、楽曲構成がある程度固定された最近の演奏への移行を経て、その意識はやや軟化し、「今のノイカシ」を定期的に「記録」し表明しておくことへの必要性は大きく感じるようになった。故に昨年はライブ盤CDを数枚「BOOT」シリーズとして発表した。
ENZKMS/LIVE/BOOT/4(PTK-004)

今回のリリースにあたっての話し合いの中で、当初は録音データをすべて解放し、個々の音をそのまま収録したファイルと、お手本とも言えるミックスデータを同梱したものをプレートや、セルフインタビューを掲載した新聞紙大の紙媒体でリリースするという案もあった。
そこには、素材(楽器・非楽器問わず)とアイデアの集積である現在の我々を一度解体し、聴者に(勿論自分も含めた)それを委ねることで、新たな何かが産まれるのでは無いか。という思惑があったが、取捨選択し構成が練られた演奏を行っている今にはそぐわない。という判断がなされた。


やや脱線するが、「ノイズ」に於ける音の選択とは何かについて、少し話をしよう。
前回の記事で自分は「世界をミュートしない」と宣言したが、そこで記した感情的な側面以外に、ノイズや即興の演奏に於いてしばしば提唱される「聴覚の拡大」というコンセプトがある。簡単に言うと、会場の空調や外を走る電車などといった環境音は勿論、ふとした瞬間にコップを倒した観客の出した音さえも「平等」に処理し、楽曲構成に取り入れるという考え方だ。
なんともピースな思想に聞こえるが、実はそこには残酷な精査が隠されている。
全ての音を平等に扱うということは、「要らない」と判断される音も圧倒的に多くなるということ、そしてミステイク(存在しないとも言える)もやり直しも認められないということにもなる。

ライブが始まった以上、よほどのことが無い限り、演奏は30分間終わらせることが出来ない。機材の特性上、思った時に狙った音が出ないということはまま有ること(ハンドメイドの楽器を使用している以上、突然の不調に至ることも稀にある)で、それさえも受け入れながらバンドを最終的なカタルシスへと辿り着かせることは意外に神経を消耗することなのだ。勿論、そうした思想を根底に置きながら長年演奏を、そして切磋を繰り返してきたことが、現在の我々を作っているとは言えるだろう。






さて、では何故今回、リリース媒体として「石」を選択したのかという話題に移ろう。
前述した通り、現状の「記録」として音源をリリースする以上、「完成系である」として作品を発表することはしたくなかった。(とは言え、スタジオ録音を行う以上、前述したBOOTの様なCDRでは心もとない)故に今回、「形が固定されていないモノ」という観点からのリサーチを行い、切削の際に出た形状がそれぞれなコンクリートやタイルの歯切れなどが候補に上がったが、あまりに直接的過ぎるのと、並べた際の美的景観からもある程度の均一性は必要であるという結論に達した。
(媒体が何らかの「重みを持った」モノである必要性については後述する。)

そこで、前述したコンセプトに今一度立ち戻り、今は固定された形ではあるが、「変わる」可能性があるものでもいいのでは無いか。という発想の転換から「彫刻石」が浮上した。



一点、断っておきたいのだが、自分はCDというメディアが、巷間で囁かれている様に既に終わったもので、もはや価値を持たなくったとは思わない。上記のインタビューでも語っているが、我々は、いや少なくとも2000年代初頭に青春を過ごした自分にはデータを抱きしめられる価値観を有するのに今暫しの時間を要するであろうし、PHEITSH/TOKYOというレーベルのコンセプト(produceされたphenomenonとしてのfetish)としても、公的なリリースは「モノ」である必要がある。

しかしながら、ベスト盤としてCD媒体でリリースした前作の次回作としてリリースすることを踏まえても、今作を規制のパッケージングへ落とし込むことへの危惧があり、故にプレスCDとしてのリリースは最初から念頭に無かった。
それは、現在の我々の演奏へ自分が抱いていた一抹の不安にも繋がる。

正直なところ、現在の我々のスタイルの様に、ノイズにリズムを取り入れ、そして構成をフォーマット化してしまうということは、アイデアの可能性を狭め、最終的にはバンドの寿命を縮めることになってしまうのではないかという懸念が個人的にはあったのだ。






だが、それをメンバーに吐露したところ、
「我々は日々確かに変化している。そんな心配は恐るるに足りない」
といった意味のことを言われ、同時に「我々はまだまだ削れるし、まだ見ぬ形を磨き上げ成形していける」という自信を彼らの言葉から受け取り、「彫刻石」という素材は大きくここに合致するということを確信した。

勿論、それ自体は、ネット通販などでおおやけに販売されているものなのであるが、バンドのロゴを表面に銘記し、楽曲のダウンロードコードを添付、そして価格を1500円という一般的なミニアルバムの値段に設定することで、削れなくはないが、実際のところは彫刻石としての有用性がある程度失われることになり、携帯するには大きく、装飾品として身につけることも出来ず、もちろんCD棚に仕舞うことも敵わない一つの異質な「モノ」として、しかし確かな重みを持って、音源データがダウンロードされ「媒体」としての役目を終えた後も存在することになるのではないか。

そしてそれは「完成形」ではなく、我々の一つの「到達点」を示すマイルストーンとして、「過去」のある定点として将来的にも置かれる筈だ。
何故なら、リリースから一ヶ月を経た今、バンドはもうそこには居ないからである。

我々は今日も削り、ともすれば叩き割り、形を変えながら前進を続けているのである。


最後に、録音と編集に渡り(幾度の校正にも)携わってくれたTakaaki Katsuyamaさん。
毎度のライブ映像、並びに今回の録音風景の撮影も行ってくれた白岩義行さんに、この場を借りて改めてお礼を述べたい。

いずれにせよ、続きは現場で。
そここそが、いつも最先端なのだ。





ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI「ENZKMS」は以下のサイトからご購入が可能です。

“Reconquista"
"FILE-UNDER RECORDS”



ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI LIVE SCHEDULE

11/26 渋谷Seventh Floor 19:00〜 ¥ 1000
w/すずえり&kaz SAITA/シシヤマザキ
DJ/脳BRAIN/biki
12/4 西永福JAM 19:00〜 ¥ 2400
w/つしまげる / ゆーの / ゲスバンド 
12/7 小岩BUSH BASH 19:30〜 ¥ 1800
w/田島ハルコ/碧衣スイミング/BOKUGO(浜松)/小川直人
12/16 渋谷RUBY ROOM Ray#3 19:00〜 ¥ 1500
w/The Loyettes/ermhoi
O.A. VAMPIRE✞HUNTER™
12/23 神楽坂神楽音 18:00〜 ¥ 2500
w/MAMMOTH/BBBBBBB/ロクトシチ/とうめい都市/Pot-pourri

MAIL/phetishtokyo@gmail.com


2018年10月23日火曜日

片岡フグリ「LOVE IS OVER IS OVER」


先月9月28日にPHETISH/TOKYOから、ソロではおよそ1年半ぶりに6曲入りのアルバムを出した。タイトルは「LOVE IS OVER IS OVER」、愛は終わったの先のさき。
今作はミックスとマスタリングをヒソミネの頃(2014年くらい)から時折PAを担当してもらっていたTakaaki Katsuyamaさんに「僕、やりますよ」とメールを頂き、是非!と手掛けてもらった。ちなみに前作のジャケットはいつも映像でお世話になっている(今回も)、白岩義行さんに撮ってもらった。
片岡フグリ「self」

作品について


制作に於いて誰かの手を借りるというのは、作品を世に出す以上、ごくごく一般的なことだ。フリーでライブのフライヤーやCDアルバムのジャケットデザインを引き受けている自分も、その一端を担っている。
だが、自分の場合、ソロに関しては録音、編集、デザインといったほとんど全てを一人で手掛けてきた。それはもちろん「こだわり」という側面が大きくあったが、一抹の「怖さ」があったというのも正直なところだ。
奏でども奏でども人気が出ず、とあるライブハウスの方からは「あなたには人間としての魅力がない」とまで言われ、自信を失くしていた時期が長い間、本当に最近まで続いていた。それでも辞めなかった、いや、辞めれなかったのは自己表現としての音楽、もとい弾き語りをアイデンティティとすり替え、生きていてもいい自分を巡る聖戦としてしまっていたところが少なからずあったからだ。だからこそ、作品制作=責任はすべて自分で取るという大義名分を掲げ、心を他人に見せる怖さから目を背けていた。
しかしながら、聴く人観る人にとってはそんなことはどうでもいいことだし、もし自分自身が「魅力」所謂「人間力」を持っていないのであれば、パーソナルな場所から一歩離れた感覚で普遍的な楽曲を作り、徹底的に練習し磨き上げたそれを丁寧に届ければいいだけの話。
そこで昨年末くらいからのライブでは、過去の様にひたすら全身全霊を込めるというやり方を控え、より「歌」を、そして人を意識して演奏する様になった。相変わらず人生は戦いだが、狂気だけでは音楽は届かない。
同様に楽曲のミキシング(音の編集作業)も、俺よりその工程を理解しているプロにお願いした方が絶対に良いに決まっている。なので、今回の制作にあたってkatsuyamaさんから声をかけてもらえたのは絶好のタイミングで、今までの作品と比べても音の風通しは(俺自身がやるよりも)圧倒的に良くなったと思うし、人のミックスを前にして、初めて作品を、そして自分を客観的に見ることができた。
そして何より、(白岩さんの映像や、ずっと作品を買って聴いてくれている方を含め)こうして人が関わってくれている以上、自身がないなんていつしか言ってはいられなくなった。

演奏について


片岡フグリは「間のある歌モノ」と自分自身を評し、キャッチコピーとしている。
過去の演奏では、ケージや能、ギタリストの杉本拓さんやバンドのteasiに影響を受けた、それこそ露骨に「間」のある演奏をひたすらに行っていた。
鳴らすべき完璧なタイミングを耳、そして全身を凝らして待ちわび、空間へ音を置いていく。ハマった際の快感は何物にも代えがたい体験であったが、自分の場合、否応なしにそれは楽曲の犠牲を意味していた。
例えば、過去のあるライブで4分ほどの楽曲を演奏するのに7、8分程かかったことがある。差し引きの3~4分は「間」である。
これを前にした観客は一体何を持ち帰るのか。緊張感と身体性が相俟った「体験としてのライブ」といったインスタレーション的な何かを手にとってくれていれば良いが、一般的なリスナーの範疇では「よく分からなかった」と思われていたことは避けられず多々あった事だろう。
勿論、それも一つのやり方で、形式として決して間違っていたとは思わないし、そのやり方を極めるところまで研ぎ澄ますという道もあった。しかしながら「歌手」を標榜している以上、楽曲を不憫に、そして歌を聴きに来てくれているお客さん(自分のファンではない方だったとしても)を遠くに扱うのはいかがなものだったであろうか。
と言うか、長い間それを続けてきて成功しなかったんだから、(もし違った何かを求めているのなら)やり方を変えてみたら?観ている側の自分ならそう言うだろう。
しかし、難解を個性と置き換えることに甘んじていた為に、こんなにも長い時間が掛かってしまった。
そこで、今回のアルバムを作るにあたって、前述した様に、昨年末くらいからライブの形式をガラッと変えた。
4分の曲は4分で。7分ある歌は7分かけてじっくり演奏する。力を入れ過ぎることなく、壊さない様に、歌う。それに伴って出来てくる楽曲も変わってきた。「最近、曲になったね」と不思議なフレーズを言われることが増えたのもその頃からだ。



では何故、方向を転換した今もなお、「間のある~」というフレーズを標榜し続けるのか?
自分が敬愛する作家に志村貴子さんという漫画家がいる。彼女の漫画は、どこまでも優しい。
しかし、それは柔らかく人当たりのいい登場人物が登場する「優しい世界」が醸す癒しに依拠するのではなく、徹底した彼女の人間(登場人物)に対する「目線」に由来する。
近年の傑作に「淡島百景」という歌劇学校を舞台にした少女たちの群像劇があるが、ここには現実世界同様、いいやつも、カリスマも、そして嫌なやつにも、それぞれが生きている人生がある。(故に、前述の全てに”誰かにとっての”という前置きが付言する。"誰かにとっての"嫌なやつ)


何かに失敗した人間がフェイドアウトして表舞台から消えていく様は、SNSを筆頭に日夜あらゆる場所で繰り返されているが、(当たり前のことだが)それでも彼ら彼女らには続いていく日々がある。或いは、意図的に誰かを失脚させる引き金を引いた者も、取り返しのつかない後悔を抱え、残酷なまでに抜けられない罪と罰の毎日をそれでも生きていくしかない。
そんな人々に手を差し伸べたり、安易にチャンス与える神にもならず、ただ「見届ける」という目線が彼女の作品にはある。
そんなスタンスで音楽を作っていけたらと思うのだ。
世界をミュートしないこと。
そうして、悲しいばかりのあの日々や無駄に思えてしまった年月を黒く塗りつぶさず、「余白」としていつしか受け入れていくこと。
それがいま俺が思う「間」である。

「LOVE IS OVER IS OVER, 形を変えて続くのです。夢も日々も、多分、愛も。(片岡フグリ/LOVE IS OVER IS OVER)」



とは言え、今やっていることが、そして自分がこれからどうなっていくのかは分からないし、どうしようもない朝も割り切れない葛藤も逡巡も、否応なしにそこら中にある。自身のない自分も、まだずっとそこに居る。
けれどいつか、そんな「間」を受け入れて、出来ればもう少し愛せる自分と、世界を創り出せていければいいなと、今は思っている。




片岡フグリ「LOVE IS OVER IS OVER」はPHETISH/TOKYO公式サイト
または、オンラインショップ「レコンキスタ」FILE-UNDER RECORDSからの購入が可能です。





2018年5月26日土曜日

「アンビエントする空間 ~『表乾』開催に寄せて~」






6月20日に「間のある歌モノデュオ」こと『ツラネ』と俺、片岡フグリの共同で『表乾』という変わったタイトルのイベントを開催する。
場所は、東京、八丁堀にある『七針』というスペースだ。アクセスは少し悪いが、余計な装飾や照明の無い、今回のイベント趣旨に合ったベストな空間として、ここをお借りすることに決めた。

ゲストにお呼びしたのは世界的和モノ電子アンビエントの名手『SUGAI KEN』さん。
昨年Visible cloaks来日の際、マジ失神すんじゃねーかってくらいの超アクトに大感動した思いの丈をお伝えすると、快く出演を承諾して下さった。






さて、「アンビエントする空間」なんて大それたタイトルを付けてしまったが、個人的なアンビエントへの見解、表乾の意味や今回のイベントの趣旨を訥々と語っていけたらと考えている。それでは、暫しのお付き合いをよろしく。


まず、俺個人の最も鮮烈な「アンビエント体験」として語っておきたいのが、今年一月にイベントの開催場所でもある七針で拝見した『chihei hatakeyama』さんのライブについてだ。
ご存知の方もおられると思うのだが、SUGAIさん同様、世界的に有名な、こちらはギタードローンアーティストの方で、まさに「啓示」「福音」とも云うべき体験を俺はそこでする事となった。




話題は少し逸れるが、アンビエント(ここではライブ演奏に絞ってお話しをする)のひとつの見方、聴き方として、そういった音楽にあまり触れることの無かった皆さんにお勧めしたいのが、「ちょっと寝る」である。どういうことかというと、読んで字の如く、ちょっと寝るのだ。

なんとも間の抜けた表現となってしまうが、これが割と面白くて、できれば横になって見れたらベストなんだけど、公共の場ではそれも難しい。なので、できるだけ余計な情報の入らない、かつ安定した姿勢をとれる場所を確保し、演奏に身を委ねながら、ちょっと寝るのだ。

前述した様にライブ会場という他人との距離の近い、ある程度の緊張を強いる公共空間で熟睡するのは難しい。少し寝て、すぐ起きてしまう。でも、また少し寝てみる、起きる。を繰り返すことで、時間の感覚が怪しくなってくる。勿論、この間も演奏は続いている。

これを続ける内に、さっき考えていたこと、そしてそれがいつのことだったのかがよく分からなくなってくる。という、思考のタイミングや内容、時系列がいつしか曖昧になってくるという不思議な体験をする事となるのだ。

アンビエントという音楽の特性として、演奏の大きな緩急、また、明確な曲の繋ぎというものはあって無いようなものが多い。(ライブ一本でまるまる一曲が演奏されるという事もよくある)
そういった楽曲としての単位が明確に分けられたものでは無いからこそ、上記の様なちょっとした遊びを行うのに適しているのである。
(例えば、一般的な楽曲をその時々に集中を要する「点」だと仮定すれば、アンビエントは「線」であると思ってもらえれば判りやすい。hatakeyama氏も語っておられたが、だからこそ演奏にはある程度のまとまった時間が必要とされる)

時間の感覚が希薄になるこの現象は、「さっき考えていたこと」と「いま考えていること」の境界を限りなく薄くする。それによって両者を恰も等価なものに感じさせ、「線」としての時間を逆説的に意識させることになる。

これを拡大解釈していくことで、大きな流れの中で生きている(生きてきた)自分を意識し、今を、そしてあの日のことを、出来事としての「点」の集積ではなく、連なる一本の「線」として、理解し直すことが出来るのだ。(そして勿論、その線は未来へも繋っていく)

記憶の等価化現象。暫定的に「アンビエントする」とここでは呼ぼう。

前述した様に、永続するかとも取れる様な音楽だからこそ、この様な体験が可能となった訳ではあるが、勿論、それはなんでも良かった訳ではなく、身を委ねる水は美しければ美しいほど良い。
chihei hatakeyama氏の超上質な演奏に依ってこそ、判断力を鈍らせる酩酊感とも言えるそれを超え、昇華された一種神秘的とも言える体験を自分はすることが出来たのだ。

(馴れてくるとこの体験は起きたままでも看取可能となる。
大友良英氏が「MUSICS」で語っていた「音溶かし」
に原理としては近いかも知れない)


とは言え、自分のやっている弾き語りによる演奏は、前述した様な所謂アンビエントでは無い。(曲という「点」を強く持っており、大きな緩急も擁している)
しかしながら楽曲や、詩によるアプローチから「アンビエントする」ことを一つの目的としている。(というか、氏の演奏を拝見し、する事に決めた)





それはどういう事か?もう少し、これを詳しく説明しよう。

アンビエントが語られる際に必ず引用されるものにエリック・サティが提唱した「家具の音楽」という概念があるが、
(サティの思惑はBGM化する音楽への懸念とアンチテーゼとしてのものだったそうだが、ここではそのコンセプト(家具のように、そこにあっても日常生活を妨げない音楽、意識的に聴かれることのない音楽)のみを拝借する。以下に詳しいので興味のある方は一読下さい。

「家具」とは日々に於いて、意識されることは無いが、あった方が良く、暮らしをより豊かにするものである。
人間にとって、普段は意識下に埋没しているものの、あった方が良く、暮らしを豊かにするもの。
それは「思い出」である。

「アンビエントする」とは、ただ単に過去のアルバムを紐解き、過ぎ去った時代を主観的に「点」として懐かしむのではなく、ある程度の客観を持って、己の系譜を「線」として俯瞰することにその目的がある。そこには良いも悪いも無い。なぜなら「思い出」はそこでは等価なのだから。

とは言え、どうしたって「アンビエントする」は個的な体験に終始するので、個人的に好きにやってればいいじゃ無いかという意見も理解出来る。
だが、あった方がいい/否応ナシにあってしまう「思い出」は、(良きにせよ/悪しきにせよ)誰しもが持っているもので、その感情のプールは思いの外大きく、普遍的なものであると自分は信じている。

だからこそ、「ライブ」そして「箱」という特殊な空間の中で、交わる事の難しい初対面の人間や、顔見知り程度の個々人と共にその大きなプールへ一瞬でもアクセスすることは不可能なことでは無い筈で、そしてそれはとても有意義なことであり、それが故に自分は人前で演奏することに大きな意味があると思っている。

そのプールへ向かい「アンビエントする」為に自分は「思い出」を歌い、アンビエント的楽曲では無い方法で、ウェットなそのグルーヴを観客と共有することを志向している。
(そうすることで、「回想法」の様なセラピー的効能を狙うことはその目的では無い。
ただそこへ至ることが自分の現在の目的である。
とは言え、「恥の多い生涯を送ってきました」とペシミストを気取るつもりは無いが、自分の様な後ろ向きな人間にとって、上記の様な思考に至り、ある種の自覚を持って過去を、そして未来を捉えることが出来るというのは、ある種の救いではある)



ここでイベントタイトルの説明をしよう。
「表乾」とは、表面は乾き、水の付着は見られないが、内部の間隙は水で満たされている状態を指す建築用語である。(このタイトルはそちら方面の業界人、にこげ氏(ツラネ)発案のものである。)

乾いたもの(個人の表層)は交われない(または難しい)が、濡れたもの(内面)は混ざり合うことが出来得る。という思いを自分はここへ(勝手に)宛てている。

最後に、今回のイベントの開催場所として『七針』を選んだ理由についても触れておきたい。

冒頭に述べた様に、そこは照明や内装に関して余計な装飾が省かれ、バーカウンターといった余計な雑音の入る余地を排した特殊な地下空間となっている。
「音」や「歌」に身を委ね、内面のプールへダイブする場所として、これ以上の空間はなかなか無いであろう。2,30人も入れば満員となるキャパシティも適度である。

梅雨真っ盛り、湿度に満たされた物理的にもウェットな『七針』で「アンビエントする」空間を少しでも表象することが、今回のイベントの趣旨であり、目的である。

皆様のご来場を心よりお待ちしている



片岡フグリ×ツラネ共同企画『表乾』


6月20日(水) @八丁堀七針

¥ 2000(飲食物の持ち込みOKです)

OPEN 19:30/START 20:00


出演/片岡フグリ/ツラネ/SUGAI KEN



片岡フグリ

1990年4月6日生まれ、多摩美術大学卒業、兵庫県西脇市出身。

ELEPHANT NOIZ KASHIMASHI、COMPUTER GRAPHIX、otopoyecisなど数多のバンド・ユニット活動と共にレーベル、PHETISH/TOKYOを主宰。同レーベルのデザイナー、アートディレクターを務める。
また、怪談イベントのプロデュースやエレカシトーク、アートイベントへのゲスト出演など、その活動は多岐にわたる。

ソロでの歌手活動では、声とギター、そして空間の全てを演奏する。











ツラネ

2014年結成 。gt担当山﨑熊蔵(kumagusu)、vo&noise担当にこげ(どろうみ)。極限まで削ぎ落とされた音数により構成された楽曲。その隙間から透明な歌声とノイズを紡いでいく。 「喪失と創造」をテーマに掲げ、活動中。ELEPHANT NOIZ KASHIMASHIとのコラボ等も行う。








SUGAI KEN

日本の夜を想起させる独特なスタイルを軸に、国内のコアな俚伝を電化させる事に傾倒するトラックメーカー。
最新作『てれんてくだ tele-n-tech-da』がDiscrepant(UK)からリリースされたばかりだが、現在国内外からオファーが殺到しており、複数のタイトルリリースを控える。
前作『不浮不埋 UkabazUmorezU』では国際的な評価(Pitchfork等)を獲得。2016年作『鯰上 On The Quakefish』はリプレスも完売。
日本屈指のレーベル〈EM Records〉からの作品『如の夜庭 Garden in the Night (An Electronic Re-creation)』により世界中のコアなリスナーとコネクト。
LOS APSON?の2014&2016&2017年間チャートに作品がそれぞれランクインし、Fabriclive(UK)への楽曲提供も行った。また、BBC Radioの複数の番組にて楽曲がオンエアーされている他、NTS Radioにて頻繁に曲がプレイされている。
Solid Steel(Ninjatune)シリーズにRob Boothを唸らせた不思議なmixを提供し、年始にはHessle Audioへも奇特なmixを提供。
先日のEUツアー(by RVNG Intl.)ではCafe OTO(UK)公演がsold outになる等、注目度の高さをうかがわせ、全13公演(6ヶ国)にてその独自性を遺憾なく発揮した。
(ツアー期間中、Worldwide FMにてインタビューも収録。6月に放送予定)
尚、現行シーンでの活動と並行し、国内の郷土芸能アーカイヴプロジェクトに複数携わる等、亜種な活動を兀兀と展開中。



2018年4月20日金曜日

トークアバウト・エレファントカシマシ 後編



に引き続き、エレファントカシマシ、及び宮本先生への考察を深めて行こうと思う。

先に断っておきたいのだが、今回の文章は十作目『愛と夢』を一応の目処として纏めようと考えている。
理由は何点かあるが、本論はバンド、そして宮本先生にとっての「初期」エレファントカシマシとは一体、いつからいつまでを指すのか?を新たに提示するのがその主目的だからだ。

勿論、ファンの間ではデビューから最初の契約解消まで、
(一作目『THE ELEPHANT KASHIMASHI』 ~ 七作目『東京の空』)を節目に
「エピックソニー」時代と総称し「初期エレカシ」として括るというのが定説であり、筆者もそれは承知している。

レーベル移行に伴うサウンド、歌詞世界の変化、そして何より状況を一変させ文字通り栄華を極めた「今宵の月の様に」大ヒットに伴う華やかなりし時代周辺の諸作品を、前回ご紹介した『生活』といった音楽的、内容的にも極端に私的(且つ何より詩的)な作品、そして今回ご紹介する『5』『奴隷天国』などと一絡げに括るのは無理があるんじゃないかというご指摘は、何ら間違ったことでは無い。

しかしながら、敢えて筆者は『愛と夢』までを持って「初期エレカシ」をここに宣言したい。以下に、その理由を説いて行こう。
長くなってしまうかも知れないが、時折音源や映像を参照頂きながら、
お付き合い頂けると幸いだ。


さて、本題に入ろう。
四作目『生活』に於いて詩作の頂点を極めた宮本先生であったが、
2年のブランクを経て発表された五作目『エレファント カシマシ5』では、前作前々作と続いた文学調による「詩」を中心としたある種の「格調」を持った楽曲傾向はややなりを潜め、サウンドもロック的軽快さ(ギターリフへの回帰)をある程度取り戻し、伴う歌詞の内容も、より卑近なものへと変化を遂げている。

個人的な話になるが、この作品が一番好きだという方(主に男性)を筆者は何人も知っている。
かく言う筆者もその中の一人で、或いは「好きだった」と言うべきか。いや、出来れば「そう言いたい」と述べた方が正直だろう。
それはこのアルバムの冒頭「過ぎ行く日々」のイントロを聴き、詩を読んで頂けるとある程度の理解が出来るかと思われる。

「過ぎる日々よ、教えてくれよ。
この俺にも生活をどうか。
教えてくれよ。俺には待ちのぞむ日々のありしことを。
さあ、待ちのぞむ人があると。
希望ありしことを。
(過ぎ行く日々)」

例えば、あらゆる希望を胸に始まった学生生活。しかしながら、何かどこかが上手くいかない。いまいち乗り切れず、身の入らない日々。思い描いた「大学デビュー」を果たせなかったという焦燥と、未来への漠然とした不安。それでいて、それなりに(親の支えや学生という身分もあり)安定はしているようにも見える毎日。

「俺の生活は 無事なる我が暮らしと、ひまつぶし人生。(ひまつぶし人生)」


「やりたい事が見つからない」という言葉の裏には、「俺は何でも、やれば出来るんだ」という若さゆえの「きっと己は特別な何者かである」という(根拠の無いが故に日々刻々と明滅する)自信が見え隠れする。
それは「待ちのぞむ日々」が、そして「待ちのぞむ人」がきっと、何処かから「現われ」て、そんな現状を変えてくれる筈だという他力本願な(願望に近い)期待に依拠する。

冒頭に引用した「過ぎ行く日々」の、永遠に続くかとも思われる重いギターリフは、そんな行き場の無い若者特有の倦怠感を見事に表現している。

だからこそ、この(できれば思い出したくない)やるせないリアリティが、痛く、そして堪らなく愛しいのだ。
故に「好きだった」(「今は抜け出したけどね)」と自分は伏し目がちに言いたくなってしまうのである。

同様に、上記に例えた様な「モラトリアム」と呼ばれる学生時代、又はそれに類する日々を一時でも過ごしてしまった、又はその渦中におられる諸兄には、(鈍痛を持って)複雑なこの感情をご理解頂けることだろうと思う。

「何かが起こりそうな気がする、毎日そんな気がしてる(四月の風、八作目『ココロに花を』収録)」と先になって宮本先生は歌うが、そこへ至るまでのさながら「五月病」と呼んでもいい「ぬるま湯」の様な毎日を、24、5歳にしてやっと一人暮らしを始めたばかりの彼も過ごしていたのかも知れない。


補完する意味でもここで、当時を記録した貴重なライブ映像、そして何よりその後のオフショット、『5』収録の歌詞をもう一つ、見て頂こう。





「働いた疲れて寝た 働いた疲れて寝た ああ 夢を追わなきゃならない(何もなき一夜)」

結婚を控え、家庭を構え始めるメンバーも居る中、彼らにとっての「音楽」要するに、「夢」は当時、「仕事」としての側面を大きくしていた様に思える。

その合間の、まるでサークル室での一瞬を切り取ったかの様に自然に「麻雀」に興じる彼らの姿は、ほんの息抜きを越えた「理由もなく、ただこいつらと音を出すのだけが楽しかった」というかつてのバンド活動への懐古の様にも見えてくると言うのはいささか暴論だろうか。


エレファントカシマシというバンドの特異性の一つとして挙げられるのが、所謂、インディーズ時代を経ることなく(ライブハウスでの演奏や、オーディション回りなどは行っていたが)メジャーデビューという、時代背景もあるだろうが、ある種のバンドによっては一つのゴールへと置いてしまう場所から、その本格的な活動を開始しているという点だ。

これはある意味で、言葉は悪いが、彼らをそして宮本先生を「働く人」や「デビュー以前の売れないバンドマン」としての社会経験や下積みを経る前にさながら「温室」へ閉じこめてしまった効果も結果的にはあったのではないだろうか。
鳴り物入りのデビューから数年、いつしか「売れて当たり前」という自負は打ち砕かれ、残されたのは「仕事(音楽)」をこなす、それでいて、一般的に言われるサラリーマンとして働く人々とは一線を画した、結果も出せず、先も見えない、暗渠たる「過ぎ行く日々」だったのである。

そうして、当然の様な登場と、待ち望まれて当たり前だと考えていたリリースやライブ活動が、徐々に白けたものに感じられてゆく。

勿論、この程度の「挫折」は誰しも体験する事なのであるが、エレカシが特異なのは、前述した様にその「早過ぎる」デビューが故に、その葛藤の全てを(恐らく契約の関係などもあり)楽曲にそして詩作として作品に顕し続けてきたということだ。

だからこそ良くも悪くも(結果的にではあるが)本論を記す事が可能となったのであり、奇跡の様な名作『生活』なども誕生した訳である。


さて、六作目『奴隷天国』に於いて、エレカシ「原点回帰」が伺える荒くれたパンクサウンドには前述した様な「温室」よりの離脱の意思が感じられる。
しかしながらそれは、

「あてなき気迫垂れ流し 動かぬ身体持て余し(太陽の季節)」
「つらき本日あてなき気迫 力なき日々生身の体 失せ行く気力
太陽の季節 遠き真実(太陽の季節)」

といった様な、「だって、やるしか無いんだろう」「知らねぇよ、どうしようもねぇんだよ」というある種の「開き直り」であった側面が大きい。
如何様にも解釈出来うる「遠き真実」とは認め難いその現状を示唆しているのかも知れない
当時の、何とも噛み合わず、本音を避ける様なインタビュー記事からもそれは読み取れる。

ここで、ロッキング・オン94年8月号の久保憲司氏による記事を引用したい。

「宮本は本当は”奴隷天国”なんて作りたくなかったと思う。(中略)完璧なる作品が観客を動かしアーティストを踏みつけのし上がっていく瞬間を延々と待っていたのだ。(久保憲司 ロッキング・オン94年8月号)」

時代のせいかも知れない、(考えたくないが)ひょっとしたら己の才能のなさ故なのかも分からないが、兎にも角にも当初の「あて」は外れ、それがセールスや観客動員という結果として現れる。
思い通りにいかないその掛け違いが、徐々にバンドを、そして生活の首を絞めていったのは想像に難くないだろう。

結局のところ『5』と同様にこのアルバムに於いても、激しいサウンドに彩られながら、「日々」「毎日」「いつものとおり」という「果てしなき」生活が歌われているのである。
(故に、アジテーションとしての表題曲「奴隷天国」のセンセーショナルな魅力はアルバムを一望するに、何処か場違いで、浮いたような印象を与える。)

さて、これら停滞とも言える時代を経て、傑作と呼ばれる七作目『東京の空』にてバンドは大きな転機を迎えることになる。

「ありふれたことがいい そうさ
いつもと同じならいい
さりげない方がいい
花に水をやればいい(東京の空)」

このアルバムに於いて、上記の歌詞や、「誰かのささやき」という楽曲にも象徴されるように、宮本先生が獲得したのは「他者」の存在である。

かつて、「お前は何故に生きている」「小さき花を見るために」(遁世)
と歌い、近作に於いても自問自答を繰り返していた彼が、表題曲では、なんと「花」に「水」を与えているのである。
(このモチーフは今後重要となってくるので、覚えておいてほしい)

とは言え、引用部以外の全体を見渡すと、その様な状況を揶揄している様な歌詞にも読める。
だが、かつて「絶対の美」として見るだけに留めていたモノに対する、「介入」が歌われていることは事実である。
正面からの表現では無いにせよ、自分にしか分からないけれど何より「美しい」と思えるもの(小さき花)へ「水をやる」事で関わりを持ち、触れ得る場所まで今一歩近付こう。という無意識下での変化がここからは読み取れるのだ。
同様に、「ありふれた事がいい」「いつもと同じがいい」「さりげない方がいい」という歌詞からも、(例えそれが揶揄であったとしても)前作前々作を通して語られた「普通の日々」に対する焦燥、個的な憤り、自問自答から、より大きな「でも、みんなそうだよな」という「他者(及び自分)への許容・共感」を経る事で、「東京の空」の下に生きるもの同士、今はまだ「ああ街の空は晴れて ああ人の心晴れず(東京の空)」かも知れないが、(共に)頑張ろうじゃないか。「つまらなかった今日はおしまい 明日があるのさ(明日があるのさ)」という、雲間から差す光の様な一抹の希望を看取することが出来るのである。

以上のことが、この作品が「エピック時代」の到達点として「傑作」と呼ばれる所以である。

勿論、前回の記事にも書いた様に、サウンド的にはこのアルバムに於ける、
(我々の世代からすると感じてしまう)居心地の悪さは、時代に合わせた事によって良くも悪くも出てしまっている。
しかしながら、当時としては「正解」であったろう録音や、意識的に入れられた楽曲以外、つまりバンド(エレカシ)以外のサウンド、「もしも願いが叶うなら」に於ける鐘の音や雑踏のサンプリングなど)は今となっては多少のケレン味を持って聴こえるものの、それは作品としてのクオリティを上げよう、そして聴く人を楽しませよう、という「工夫」だとして大いに理解出来るのである。
盛大に迎えられたサポートメンバー(トランペット、キーボード等)の存在にも象徴的にそれが表れている。

いずれにせよ、このアルバムを持ってエピックソニーとの契約は解消の憂き目を見るが、「他者」という「仲間」を手にした彼ら、及び宮本先生には、それはさほど大きな問題であったとは思えない。
(次作のリリース元レーベルが決まるまでの間の貴重なライブ映像が残されているが、ここに見られるのは今迄とは考えられない、観客を意識し「盛り上げよう」という趣向に(多少空回ってはいるものの)溢れた彼らの姿である。
同様に、「契約切りやがってバカ野郎」と、当時下北沢シェルターで行ったライブの際に宮本先生は悪態をついているが、後に、「そう言うと、客が喜ぶんだよね」と語ったインタビューから、これもパフォーマンスの一環であったと受け取って良いだろう。また、この辺りのライブより今に繋がる「エビバデー」といった、場を盛り上げる宮本先生特有の「煽り」も見られ始める。)

むしろ、制作時に「契約解消」がささやかれた『東京の空』であったからこそ、「やっぱり音楽しか無い(し、それは一人では出来ない)」という意思を固め、気付く為に必要であった、「支えられていた自己」を知ることで、ある種の「一人立ち」へ到る為の、それは通過儀礼であったと言えるのでは無かろうか。

そして、96年、レーベル移籍後(ポニーキャニオン)第一弾、佐久間正英氏(元 四人囃子)をプロデュースに迎えた八作目『ココロに花を』の登場である。(年間チャート10位)

今作では、前作に於いて手の触れるところまで接近した「美」を更に、「ココロ」=「内」に秘める、つまり「絶対の美」を「デザイン」し、より分かりやすい形で見せる事に成功すると同時に前作以上に他者の介入を許し、楽曲を今まで以上の「ポップス」へと昇華する事が叶った。

(象徴する様に、ジャケットには一輪の花も、花びらさえもない。何故なら花は見たまま咲いたままのそれでは無く、内面に、つまりココロにこそあるのだから)







勿論、その移行はスムーズに行われた訳ではなく、楽曲・サウンドの変化に対する違和感に、完成した作品を聴いていた宮本先生がそのウォークマンを路上で叩き壊してしまったというエピソードが有名だ。
しかしながらそれも、前述した様な通過儀礼の一種であったと言えよう。

証拠に、それを経た先のある日、立ち寄った書店に偶然居合わせたエピック時代からのファンより「最近の曲には昔の曲にあった何かが感じられない」と言われたものの、宮本先生としてはその体験、感想を「嬉しかった」と後にインタビューでは語っている。
そんな彼に見られるのは、通過儀礼を経て、もはや変化を恐れなくなった、一人の「大人」の姿である。

「振り返れば 誰かの声 誰かの影
どこまでも ついて来る 世間の影
つかまえて 勇気づけて 俺を
(孤独な旅人)」



そして遂にエレカシは、九作目である『明日に向かって走れ』そして伴うシングル「今宵の月のように」に於いて、大ヒットの偉業を成し遂げる。
(アルバム、年間チャート2位。シングルはオリコン月間9位という華々しい結果である)

バンド史上最大のヒットソングとなり、最近のライブでは「皆さんにとってはどうか分かりませんが、我々にとっては大切な曲なんです」という照れた様なMCから始まる「今宵の月のように」は、
もはやクラシックと化し、筆者としても「もう聴かなくてもいい曲」と(恥ずかしながら)位置付けていたが、今回お話を頂き、改めて腰を据えて聴き直してみると、まず驚いたことのに、この曲は「サビが低い」のである。
一体それがどういうことなのか、少し説明をしよう。







エレカシ、そして宮本先生のこれまでの楽曲メロディーの傾向からすると、どうしてもサビが高過ぎて歌えないものが多かったのだが、(エレカシの曲は概ねキーが高く、この曲もAメロBメロと一般的基準よりかなり高い音程での作曲がなされているのだが)
おそらく、一番耳にし、口ずさんでしまうであろう、冒頭「下らねぇとつぶやいて」サビ「今日もまたどこへ行く、愛を探しに行こう」と言った親しみのあるフレーズの箇所が、軒並み鼻歌仕様とでも呼ぼうか、非常に歌いやすい音程で作曲されているのである。
前作『ココロに花を』リリース時のインタビューを引用すると、

「コンサートでやってて、盛り下がるのがすごいつまんなくて、(中略)、楽しく歌ったりとかして帰って欲しいなと思ったところもあります(ロッキング・オン・ジャパン 96年12月号)」という、
かつて演出と言えども「拍手」を禁じていたバンドからは考えれられない様な開けた言葉が飛び出している。
確かに、この曲なら歌える。
勿論、メロディーやアレンジも素晴らしいのだが、その「計算」が読み取れた時、自分はなんとも言えない幸福感に包まれた。

そうだ。これこそが「顧客」を意識した、歌って楽しんでもらう為の「デザイン」。そして、「ポップス」なのである。
他の誰にも歌えない様な、孤高の音楽を奏でていたエレファントカシマシが、「口ずさめる」に辿り着いたという事実。
それが故に「今宵の月のように」は今なお不変であり、偉大なるクラシックなのである。

さて、そろそろ結論に入ろう。
まずは次作『愛と夢』から、「はじまりは今」の末部をご覧いただきたい。

「迎えに行くよ町に咲く花を
君の両手に届けに行こう(はじまりは今)」

重複するが、かつて「お前は何故に生きている」「小さき花を見るために」(遁世)と露骨な美を歌っていた男が、そんな「花」に水をあげることを(無意識ながらも)直喩的に言葉にし、更にそれを「ココロ」に秘め、メタファーとしてデザインする事を覚え、最終的にそれを「君の両手に届けに行」く余裕までをも手にしたのである。
これを「成長」と呼ばずして何と言おうか。

(筆者はこの結論へ至った際、思わず「30代、愛する人のためのこの命だって事に あぁ気付いたな」(俺たちの明日 十七作目『STARTING OVER』収録)」と歌い出してしまった。)

前作前々作に於いてメロディーとして結実したポップスが、十作目にして遂に、歌詞、そして宮本先生の精神の面に於いても完成したのである。

これを持って、「エレカシ初期」そして、宮本先生の「成人」は完了するのだ。
今回のトークショーで自分が何としても伝えたかったのはここである。

とにかく、(先ほどは少しく悪いように言ってしまったが)早くに彼らをデビューさせてくれたレコード会社に感謝(と同時に過剰な諸作品に(内情は知らないがひとまず)OKを出し続けてくれたという度量の大きさへの賛辞)であり、その折々の感情を余すところなく楽曲へ昇華させ続けてくれた宮本先生、そして何より、時にバイトで生活費を捻出しながらも「辞めないで」いてくれたメンバーの方々に、大きな拍手(そして出来れば赤い薔薇いっぱいの花束)を送りたい。

とは言え勿論、この成長(『ココロに花を』以降)を機に、離れてしまったファン(上記の書店でのエピソードの様な)も居たことだろう。
だが、それは致し方のないことなのである。
いつだって、友人の成功は悔しい。そしてそれ以上に、手放しでそれを誇り、讃えることができない自分が何よりも悔しいのだ。
離れて行ってしまった彼らにとってのエレカシとは、夢を語り合い、そして時に口論し、また、涙し、互いに慰め合ってきた親友同士だったのであろう。
だからこそ、モラトリアム、或いは温室であったあの時間が愛しく、そしてそれを抜け出す事が適った者が羨ましく、裏切られたようにも感じてしまい「さらば青春」という言葉を受け入れることが難しいのだ。(これは筆者の一方的な主観と、かつての己への意見であり、そうでは無く単純にエピック時代の楽曲を愛していたファンの方には当てはまらないと付言しておく)

しかしながら、男と男の付き合いとは、得てしてそういうものなのである。
勘違いのない様に記しておくが、それが(男の)ロマンだからと女性を蚊帳の外に置いて遠い目をするつもりは毛頭無い。エレカシ(特にエピック時代)を前にする時だけは、男女の垣根はなくなり、一様に皆ひとりの「男」となるのであるから。


さて、長々と語ってきたが、筆者はここでひとまず筆を置こうと思う。
今後の諸作品への考察も、一応は深めているのだが、いかんせん28歳になった(温室を抜け出たと思いたい)ばかりの若輩者に出来るのは、サウンドの読み取りとエピソードを交えた解説くらいのものである。
実感(そして幾ばくかの反省)を持って語れるのは、残念ながら、ここまでだ。

いつかまた、今回の様なイベントを開くこともあるだろう。それまでは音楽家・タレント・レーベル運営者、そして何より一人の男として、成長した姿で皆様の前に立てる様に日々を邁進していきたいと思う。

最後になるが、きっかけを下さった加藤氏、貴重な機会を設けて下さったLoft Booksの小柳氏、トークショー当日にご来場を下さった沢山の方々、相方を務めてくれた剤電氏、そして、拙い文章を最後までご拝読下さったあなたに、精一杯の賛辞と感謝を送りたい。

おかげで、有意義な日々を過ごす事が出来ました。
ありがとう。

そうして、前にも増して俺はエレカシが大好きになってしまいました。


さぁ!共にかけ出そうではないか。
レッツゴー明日へ、
そして、笑顔の未来へ。


2018年4月20日 
片岡フグリ


(了)